ここで言うアライ(ALLY)とはLGBTQ+に対しての支援者的な意味です。

僕はアライ(ALLY)に興味がありません。

厳密には僕の周りがアライかどうかということに興味が無いというか、アライを広げることに興味が無いという事です。
ただ、そういう活動を否定するつもりはありません。
それは誰かにとっては大切な励みになるから。
僕が関わることがないということです。

僕の周りがアライになろうと努力していたら僕は止めます。ありがとう、でも君には必要ないと思う。だから自分の貴重な時間は自分のために使ってと。
それくらい僕の周りは根本的なことを理解しているというか、必要のない人格者が多いです。

僕が必要だと思うのは最低限の知識と最低限の当たり前だけ。

最低限の知識とは「世の中には色んな人がいる」ということ。

最低限の当たり前は「自分と違う人間がいるからって虐めたり殺したりしない」ということ。

これで十分です。それ以上に知りたいとかであればそれはその人の自由です。
興味が無い、関わりたくないとかであれば無理する必要はありません。
合わないのに近づく必要はありません。大丈夫です。

逆に当事者はそういう人がいても良いって理解してほしい。多様性です。
全員と仲良くなる必要はありません。もちろん仲良くしようと努力することを否定はしません。
でも自分がしんどいなら止めても良いんじゃないかな。

まずは自分と大切な人を大事にしましょう。
そこを疎かにしないことこそがめちゃくちゃ大事なことだと思います。

言葉や定義に気を取られすぎると知らない内にそれに囚われてしまったり、衝突を生み出したりしてしまうことがあります。僕はそれが怖いと思っています。

用語を知っているから理解者なのでしょうか?

知らないからといって応援する気持ちが無いのでしょうか?

昔々、僕は「友達なら家族なら上司なら仲間なら理解して当然じゃないか」とか「知識を持とうとするのは当たり前だろ」と思ってモヤモヤしていました。

当事者が身近にいるっていうのになぜ皆知らなすぎるんだ。
なぜ知ろうとしないで傷つけてくるんだ。

しかしある時、当事者でも無いのに知識バッチリの人に出会って僕は怖くなりました。

もし自分が当事者であった記憶も無しに逆の立場になった時、僕はこの人のように行動できるだろうか?

自分の願望や理想抜きで考えると、どう考えても答えはNoです。

では、別のパターンで考えよう。
もし友達が病気になったと言われたら僕はどこまで調べるだろうか?
本人から話は聞くかもしれないけど自分でどれだけ調べるだろう?

そんな僕がなぜそんなに求めてばかりいるんだろう。

そう気付いた時、モヤモヤは無くなりました。
初めて自分以外の立場に立って考え、気づいたんです。

知ろうとすることも大切なことだけど、何をどこまでっていうのはその人の中で決めるべきだな。
知らないからといって相手を想う気持ちを測ることはできないな。
自分にとって不快だったり傷つくようなことがあれば自分で伝えるのは当然だな。それがお互いを知ることだし、関係性を深めるということだよな。

おかしいですよね。“相手の立場に立って考えましょう”という言葉は昔から言われていたことなのに。

僕は自分と相手両方とも許せないでいたんだと思います。
でもこのことに気づいたおかげでどちらも許せるようになりました。
(許すなんて何様だよって感じですが)

お互いにしんどくない方法はいくらでもあります。
大切なのは「お互いに」ということ。
分かってほしいことがあれば自分で伝えてあげたら良いんです。
察してちゃんが問題を解決することはできません。
相手はあなたの言葉で知りたいんです。
そして同じように自分も相手のことを知らないんだと気づいてあげること。
お互いに自分を教え合い、相手を知っていくことがコミュニケーションですよね。
自分以外のことを知っている人はいません。
自分の感覚しか知らないんです。
だからこそ自分から知ろうとして知ってもらおうとする。
そこで用語が便利なら使えば良いし、必要なければ利用しなくて良いんです。

問題の本質を理解して物事をなるべくフラットに見れるようにしたい。
だからこそあえて僕はそういった活動をしたり言葉を多用する事はありません。
それだけです。否定でも何でも無いです。ただの勝手な取り越し苦労かもしれません。
こんな人間もいるという事です。皆同じである必要はありません。多様性を大事にしましょう。

おこがましくてすみません

ABOUT ME
ずしょー
国内で性転換手術を受けたけど基本的にオープンに生きてます。当事者の代弁者でも代表でもなく"一サンプル"として発信してます。