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治療は必要?〜治療の決定権は誰にある?〜

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治療は必要?〜治療を選択すること・しないこと〜ここでいう治療はホルモン療法や手術を指します。 これらは一度始めると元に戻せない、不可逆的なものです。 陰茎形成術まで受けた僕が...
なぜ僕が「治療は必要?〜治療を選択すること・しないこと〜」というブログを書こうと思ったのかというと、『性別違和・性別不合へ』という本を読んで「治療をしたけどやっぱり治療前に戻ろうとする人がいる」ということを知ったからです。

「治療を後悔する」ということは僕には分からない感覚なのですが、分からないから存在しない訳ではないので「なぜそうなったんだろう?」と考えてみたんです。
もちろん「なぜか」なんて本人にしか分からないのが大前提ですが、自分の経験した過去の出来事を思い出して、「治療を受けるのが当然」のような考えも要因の1つではないか?と思ったんです。
(もちろんやってみて後悔を選んでも本人が納得できれば良いと思いますし、恥じる事でもないと思います)

ここでいう治療はホルモン療法や手術を指します。
これらは一度始めると元に戻せない、不可逆的なものです。

治療が当たり前という空気

治療の選択権

診断が降りた後、医師に「診断が降りましたがこの先どうしますか?」という質問を受けました。
「治療を選択していくのは本人であるのが大前提」という事です。
ここは双方勘違いの無いようにしたいものです。

ちなみに僕は第一の選択としてはホルモン療法を選びませんでした。
身体に関することはもう少し自分で考えたかったからです。

周りの当事者が治療をするということ

周りの当事者達が次々と治療を初めていくと、当然見た目が男性になっていきます。
その中で治療をしていないと意図せず目立ってしまいます。
そこから「全員トランスジェンダーではないか」と見られてしまうリスクが発生します。
それが嫌なら付き合わなければ良いだけだと個人的には思うのですが、中には「周りに迷惑をかけている」と捉えてしまう人もいます。

僕は周りの当事者達がホルモン療法を始めても、自分のタイミングというのを常に考えていました。
なのでホルモン療法を受けるのはだいぶ遅い方でした。
「ホル注しないの?」と聞かれることはありましたが、僕の周りの人達はいい人が多いので迷惑がる人はいなかったし、遊んだりする時も気軽に誘ってくれました。

そんな周りに恵まれていても、自分のタイミングというのを考えていたとしても、やはり焦る気持ちというのも分かります。
周りがそんなこと言ってもないのに「周囲に迷惑になってないだろうか」と思っちゃう気持ちも分かります。
ネットなどでは「当事者なら治療をするのが当然、むしろ治療をしないなんて当事者ではない」とまで無責任に言っているのを見かける事もあります。

だからこそ、それに流されてしまう人もいるのではないか?と思います。
軸が自分にないとブレてしまうし、自分を軸にするということは簡単に言うけど難しい事でもあります。

治療が目的になること

「治療をしたらこんなに楽だ!」という話を聞けば、治療をすれば救われるという方向に傾き、治療をすることが目的になってしまう事もあるでしょう。

治療をすることで治るのであればそれでも良いでしょう。
しかし、治るものではないしあくまで「マシ」にしていくものです。
どう生きていくのが自分の中で「マシ」なのかは本人にしか分かりません。

自分が生きていく中でマシになる手段が治療であり、目的ではないのです。
ここは結構大事なところだと思います。

ホルモン療法を受けてほしいと言われているAさん

僕はカミングアウトして生きている人間なので、たまに「知り合いに当事者がいるから相談に乗ってほしい」と言われることがあります。
今回は当事者のパートナーが「ホルモン療法について相談したい」と言う内容でしたので、「僕でできることがあれば」ということでお話を聞きました。

相談者は当事者の彼女さん

相談の内容はざっくりと以下の感じでした

・当事者(ここでは仮にAさんとします)は治療は何もしていない状況
・彼女さんはAさんにホルモン療法を受けてほしいが、Aさんは迷っている

僕はかなり戸惑いました。

なぜなら、「当事者がホルモン療法を受けたがっているが、大丈夫なものなのか心配なので実際に受けている人の話を聞いてみたい」という内容だと勝手に勘違いしていたからです。
勘違いしていたので最初は「ホルモン療法ってこんな感じのもので、僕の場合は今のところこんな反応が出ているよ」という話をしてました。
話していく中で「彼女さんの方がホルモン療法を受けさせたがっている」ということに気づいて僕は衝撃を受けました。

治療ってメリットもデメリットもある事なのになぜ他人が?

?だらけでしたが、Aさん本人とも2人きりで話せる機会があったので話を聞いてみました。

ホルモン療法に乗り気でないAさん

本人に話を聞くと、「実はホルモン療法にあまり乗り気ではないが、彼女が受けさせたがっているので迷っている」と打ち明けてくれました。

ここで疑問がさらに大きくなりました。
彼女さんはどういうつもりなんだろう?
本人に聞きそびれてしまったので2つの可能性を考えました。

・治療を受けることが当事者の幸せにつながる唯一の手段だと思っている
・ホルモン療法を受けていないので自分がレズビアンに見られることを恐れている

ただ、初対面でどこまで話せてもらえてるか、こちらが汲み取れているかというのが怪しいのでこの2つの可能性を考慮しつつ僕は彼に言いました。

ずしょー
ずしょー
迷っているならしない方がいい
体に毒を入れるということだから、恥ずかしいけど僕は注射を打つ直前にビビったよ

そういうと彼はほっとしたように感じました。
なので「とにかく迷っているなら絶対しない方が良いよ」と繰り返しました。少しウザかったと思います。
(僕は基本的に相手のことは相手が決めるものなので絶対とか強制的なことはあまり言わないです)

Aさんは優しい人で、とても彼女さんのことを考えている人のように感じました。
しかし、それとこれとは別。
メリットもデメリットも受け入れるのは自分しかいないのです。

実際のAさんの気持ち

この話は少し前の話で、Aさんに当時と現在の気持ちを聞く機会に恵まれたのでここからはAさんの言葉を記します。

色々悩んでいる中で実際に話を聞かせていただいて、当時はとても参考になりました。
同時に、決断できない自分に不甲斐なさや苛立ちなど色んな感情があったのを思い出しました。
恥をかかせたくない、望むようにしてあげたいと思う反面、それは自分の願いではないという葛藤です。見てくれがどうこうよりも、まずは自分自身を愛して欲しかったのだと思います。

どこで治療を躊躇していたかは、「明るい未来が見えなかった」が1番しっくりきます。
家族に恵まれ、男女とも友達に恵まれ、ありのままの自分を受け入れてもらえている中で、自分自身の違和感は「体も含め女性として置かれていること」だけでした。

当時の彼女は、自分の社会的(家族や仕事場など)な立場を真っ先に考えているようで、自分が治療をすることによって堂々とできることを望んでいたように感じていました。(※きっともっと考えてくれていたとは思いますが、当時の自分はそう思ってしまいました)
そうではなく、治療をすることによってお互いの未来が明るくなるような話し合いができていれば、治療に踏み切れていたかもしれません。

流されやすいタイプでもあるので、ずしょーさんと話した以来あえて当事者の方たちと会うのは避けて通っていました。
自分を見失いたくなかったから。
現在、治療は何一つ受けていませんが、この選択が合っていたのかは今でもわかりません。
惨めな思いもたくさんあります。

けれど、自分らしく生きるという意味では間違っていないのかなと思います。
自分自身のためでなくても後悔しないのであれば間違えではないと思います。しかし、自分はいつか後悔してしまうのではないかという不安が払拭できなかったです。

治療を自己決定する事とは

治療を「相手が大切だから」や「相手が望むから」という踏み絵や証明にするものではないです。
そして、友達の当事者が治療をしているからといって焦る必要も「当事者であることを証明するために治療をする」必要もないです。

物事にはメリットもデメリットもあります。
そして予期せぬ事態というのもあります。
治療をすれば必ず自分の満足のいく成果が得られるかは分かりません。
それらを踏まえた上で「自分で選択した」という納得がなければ、後悔した時にとても苦しいものになってしまいます。

「他者に勧められたから行う」というのもそれを選んだのは自分です。
それを受け入れられるのであればその先の辛いことを減らすことができます。
何をもって納得するかは自分しか分かりません。

治療をしてもしなくても葛藤は続きます。
そして「元に戻せない、不可逆的なもの」だからこそ後悔するのは苦しいものだと思うのです。
「やってみてやっぱり違うから戻る事」も自分で受け入れられるなら良いと思うんです。

当事者か当事者でないかを見極めるのに「治療」を使われれば、「それを証明すること」というのが目的になる事もあるでしょう。
治療をしている人が治療をしていない人を馬鹿にすることもあります。(本当にくだらない!)
ノイズはどこにでもあり、治療をしたからといって完全に消えるものではありません。

繰り返しますが、それで治療をして満足できるものを得られたならそれで良いと思います。
もちろん、治療をしてみて「やっぱり違った」と思っても、その事を恥じる必要は全くありません。
でも、そういった他者の軸に気を取られすぎて「こんなはずでは」と思うことは苦しいことだと思います。

それを減らすことができればと思って自分の経験させてもらった事を語ってみました。
あなたの選択を僕は支持します。
おこがましくてすみません。

ABOUT ME
ずしょー
国内で性転換手術を受けたけど基本的にオープンに生きてます。当事者の代弁者でも代表でもなく"一サンプル"として発信してます。

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